NHK・副島萌生アナ(32歳)とは一体何者?「エリカ様」と呼ばれるのはなぜ?

副島萌生(そえじま めい)アナウンサーはショートカットが似合う、明るい性格のNHK人気アナウンサーです。

2024年4月からNHKの新しいメインキャスターとして副島萌生アナウンサー(32歳)が『NHKニュース7』に起用されました。

副島萌生(そえじま めい)アナはNHKのエースで経験豊富な和久田麻由子アナウンサー(35歳)の後を継ぐ形となり、そのプレッシャーは相当なものですが、彼女のスタートは順調のようです。

副島アナは「NHKの顔」としての役割を果たしており、注目を集めている彼女ですが、どのようにして今のキャリアを築いたのか、気になる方も多いでしょう。そこで今回は副島萌生(そえじま めい)アナの経歴や学歴について掘り下げてみました。

副島萌生アナの出身高校はどこ?

副島萌生アナウンサーの出身高校は、青森県立弘前高等学校になります。

青森県立弘前高等学校 学校情報 校歌

副島アナは高校時代、弘前高校の放送局に所属していました。

彼女は2008年、17歳のときにNHK杯全国高校放送コンテストに参加し、アナウンス部門で優良賞を受賞しました。

また、2009年には18歳で第81回選抜高等学校野球大会の開会式と閉会式の司会を務めた経験があります。

副島萌生

堂々と話している様子が伝わってきますね!

副島萌生アナの出身大学は?

慶應義塾大学 三田キャンパス / Keio Universtiy Mita Campus

副島萌生アナは慶應義塾大学の出身です。

この大学は日本で非常に有名な名門校です。

大学在籍中にはダンス部に所属して活動しており、同時にアナウンサーを目指すためにテレビ朝日アスクにも通っていました。

テレビ朝日アスクとは、テレビ朝日が1999年に設立したアナウンススクールです。ここでは発声練習や原稿の読み方を学ぶことができ、現役アナウンサーから直接指導を受けることも可能です。

副島萌生アナのプロフィール

名前 副島萌生
(そえじま めい)
生年月日 1991年12月28日
年齢 32歳
※2024年2月時点
身長 164cm
出身地 青森県弘前市
趣味 カラオケ 温泉
特技 くらっしくバレエ ストリートダンス
好きな食べ物 焼き肉 筋子 納豆 チョコレート 果物

あだ名は「NHKのエリカ様」!

青森県弘前市出身の副島アナは、地元のトップ校である弘前高校を卒業後、慶應義塾大学へと進学しました。2015年にNHKに入局して以降、大分放送局や名古屋放送局を経て、最終的に東京のアナウンス室に配属されました。

地方での勤務時は、事件や災害報道で忙しく現場を駆け巡り、東京に戻ってからは「サタデースポーツ」や「サンデースポーツ」などスポーツ関連の番組でキャスターを務めています。そのため、彼女は現場対応が強く、幅広い知識と人脈を持っています。

彼女は頭の回転が速く、アナウンス技術も高い評価を受けています。この調子で「ニュース7」を続ければ、将来的に紅白歌合戦の司会を務める日も近いかもしれません。

副島アナは自己管理が厳しく、他人にも同様の厳しさを求める性格で知られています。スタッフに対して厳しい言葉を投げかけることもあり、プロデューサーであっても納得いくまで議論を交わすことがあります。

その強い性格から、彼女には「NHKのエリカ様」というあだ名が付けられています。これはかつて話題になった女優、沢尻エリカを思わせるキャラクターから来ています。しかし、「ニュース7」のキャスターとしての姿勢はむしろ謙虚で、現場からの評価も上がっているようです。

そう言えば、NHK「おはよう日本」でいじられキャラのおはbiz 神子田章博キャスターによく突っ込んだ返しをしていて気の強そうな女性アナだなぁと思ったことが何回も・・・。

「弘前の令嬢」だったころ

副島アナの実家は、青森県弘前市の静かな住宅街に位置しています。この地域は弘前大学の医学部が近く、多くの医者が住んでいることで知られています。地元住民によると、副島家の周辺は教育熱心で裕福な家族が多いエリート地区として知られています。

家族が経営する「副島胃腸科内科」は3階建ての建物で、その一角に副島アナの実家があります。彼女の家族はほとんどが医者であり、彼女の祖父が地元の医者の娘と結婚して医院を設立しました。彼女の父は二代目の医者で、母も医者です。彼女には医者になった兄と、最近医学部を卒業した妹がいます。また、叔父も隣で歯科医院を開業しています。

地元の住民からは、副島医院が非常に頼りにされており、父は寡黙だが熱心に診察を行い信頼されています。母は美人で親しみやすく、気取らない性格で親しまれています。副島アナの妹は控えめながらも美しいと評判です。

地域で美人姉妹として知られる副島アナですが、なぜ彼女は医者の道を選ばなかったのか、家族の教育方針に何か理由があるのかもしれません。

なぜ医者の道を選ばなかったのかー納得の理由とは?

 

副島アナが幼少期から高校時代まで通っていた「アカネバレエ教室」の主宰者、桜庭茜根さんが彼女の家庭環境について語ります。

「私は副島家の医院にかかっており、お母様とも長い付き合いですが、家庭では子どもが自分のやりたいことを自由にさせるスタイルを大切にしているように感じます。医者になるよう強いることもなかったようですね。

萌生さんの性格ですか? 小さい頃から非常に競争心が強く、コンクールで失敗しても、誰よりも必死に練習する子でした。そして大胆さも持ち合わせていて、納得できない練習には果敢に取り組まないこともありましたね(笑)。『萌生さん、きちんとやりなさい』と言うことがしばしばありましたよ。」

桜庭さんは、副島アナがアナウンサーを目指すきっかけについて、高校時代にさかのぼって語ります。

「弘前高校に進学してから放送部に入部し、活動が本格化するにつれて、バレエのレッスンに参加する時間が減っていきました。やがて彼女は放送活動を本格的に進めたいと決心し、私にもその意志を伝えて、バレエから離れていきました。

私は彼女がバレエの分野でも大成する可能性があったと思っています。美しく、何事にも努力を惜しまない子でしたから。しかし、彼女自身には『バレエでトップになる自信がない』という感じがあったのかもしれません。それで『アナウンサーならトップになれるかもしれない』と思い、その道を選んだのだと思います。そんな彼女は本当に負けず嫌いで、心が強いんです。」

副島アナの叔父も家族の教育方針について語ります。

「(アナウンサーを目指したのは)本人の意志ですね。家族から特別なプレッシャーはなく、教育方針も特に厳しいわけではなく、自由な環境でした。それにしても、彼女が7時のニュースを担当するまでになるとは思ってもみませんでした。」

副島アナは弘前高校で放送部に所属し、その才能を生かして「NHK杯全国高校放送コンテスト」で優良賞を獲得し、高校2年生の時には全国的にも注目されるようになりました。さらに、翌年のセンバツ甲子園の開会式で司会を務めるなど、その才能を広く認められていきました。

副島アナの高校時代について、彼女の同級生が語ります。

「弘前高校の放送局は非常に伝統のある部活で、放送部というより放送局と称されていました。その雰囲気は文化系というよりも体育会系に近く、メンバーは各自がテーマを定めて現場取材を行い、自分で原稿を書いて読むというスタイルでした。年間を通してほとんど毎日何かしらの活動があり、遠征も多かったです。

放送局には「アナウンス」と「朗読」の二つの分野があり、萌生さんはアナウンス部門で際立っていました。彼女は美人で目立ち、アナウンサーになることを最終目標と公言していました。特にNHKでの仕事に強い憧れを持っていたようで、それがNHK杯全国高校放送コンテストでの成功につながっていたのだと思います。この大会では常に優勝を目指していました。

萌生さんは優秀な生徒でしたが、実はジャニーズファンでもありました。ある時、地元のFM局でゲスト出演した際にはジャニーズの曲をかけていましたね。また、高校野球で甲子園に出場した際には、チームメイトのために記念として甲子園の土を小瓶に入れて持ち帰るなど、彼女の優しさを示すエピソードもあります。

『ニュース7』のキャスターとしての彼女の成功を、私たち同級生は「さすが萌生だ」と感じています。」

彼女はエリート一家で育ち、その負けず嫌いな性格が多くの人に認められてきました。副島アナの背景を知ることで、彼女が担当する『ニュース7』の放送がさらに楽しみになるでしょう。

 

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