笠置シヅ子の晩年の様子や歌手廃業についてご紹介

街じゅうがワクワクブギウギ! 笠置シヅ子の出身地・東かがわ市 ...

2023年10月2日に放送開始された朝ドラ「ブギウギ」は、笠置シヅ子さん(実名:亀井静子)をモデルにしています。

「ブギウギの女王」と称された彼女は、戦後の日本で「東京ブギウギ」をヒットさせ、広く知られるようになりました。

この記事では、笠置シヅ子さんにまつわる二つの疑問、彼女はなぜ歌手活動を辞めてしまったのか、そして晩年はどうしていたのかについて調査しました。それぞれの話題について詳細をお届けします。

笠置シヅ子さんの生涯末期とその死因について

笠置シヅ子の晩年・死因は卵巣がんだった?

1985年、70歳の時に笠置シヅ子さんが亡くなりました。

その際の死因は「卵巣がん」と報告されています。

笠置シヅ子の死亡原因は卵巣がん

1980年、65歳であった笠置シヅ子さんが健康上の問題を抱え始め、初期には乳がんと診断されました。

翌1981年には乳がんの治療のため手術を受けました。

だが、1983年には病状が卵巣に転移し、卵巣がんであると診断されました。

卵巣がんに対する手術は成功しましたが、1985年にがんが再発しました。約5年間の闘病の後、1985年3月30日に入院していた病院で笠置シヅ子さんは逝去しました。

卵巣がんについての概要

笠置シヅ子さんが抱えていた卵巣がんという病について…

これは卵巣にできる悪性の腫瘍を指します。

早期には目立った自覚症状が現れにくいので、発見が難しいとされています。

例えば、「服のウエスト部分が窮屈に感じる」「体重が増加したように思う」「下腹部に違和感がある」「食欲不振」などの兆候が見られた時に医療機関を訪れ、そこで卵巣がんであることが判明することが多いです。

笠置シヅ子さんの略歴

笠置シヅ子が歌手廃業したのはなぜ?

笠置シヅ子(本名:亀井静子)さんは、

1933年、18歳で音楽界に足を踏み入れ、歌手としてのキャリアをスタートさせました。

彼女はそのキャリアを約24年間続け、1957年に42歳で歌手としての活躍にピリオドを打ちました。

引退の年、1957年のNHK紅白歌合戦では「ヘイヘイブギー」を歌い、その壮大な舞台を最後に表舞台から退きました。引退記念として「たよりにしてまっせ」という楽曲もリリースしています。

特筆すべきは、1947年に「東京ブギウギ」が大ブレイクし、彼女をスターダムへと押し上げたことです。この曲の成功後には、「買い物ブギー」「ヘイヘイブギー」「ブギー娘」といった数々のヒット曲を連発し、彼女は「ブギの女王」と称されるようになりました。

なぜ歌手活動を終えたのか?

笠置シヅ子さんは、東京ブギウギで社会現象を巻き起こしましたが、歌手としてのキャリアは24年で区切りをつけました。

彼女が「ブギの女王」と讃えられた後、約10年経って42歳で歌手生活から手を引いた理由について探ってみましょう。

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当時、彼女の引退の背景にはさまざまな憶測が飛び交いました。

年齢と共にパフォーマンスの質が落ちることへの懸念、子育てへの専念などが推測されていましたが、笠置シヅ子さん自身がテレビ出演時に真相を語りました。

出産による体型の変化と太り、踊りにくくなったことが引退の大きな理由であると。

彼女は、「ブギの女王」としての最盛期に自身のイメージを汚すことなく、引退を決意しました。

この決断背景には、メディアが伝える憶測とは異なる、彼女自身のプロ意識の高さがうかがえます。

そして、彼女が歌手を引退してからは、自宅でさえ鼻歌一つ歌わなかったという話もあります。

もしこれが真実ならば、笠置シヅ子さんがいかにストイックな人物であったかが伺えます。

歌手を辞めた後の人生

その後、笠置シヅ子さんは女優として新たなキャリアを築き上げていきます。

女優としての新たなキャリアを歩み始めた際、

・シヅ子は「笠置 シヅ子」と名前を新たにし、女優業に集中することを決めました。 ・「トップスターの笠置シヅ子」としての高額な出演料は多くの制作側にとって負担となることから、「出演料を抑えてください」と自らギャラの調整を提案していたとのことです。

大阪弁を駆使した明るく軽妙な演技で視聴者から愛され、ドラマはもちろんのこと、バラエティやCMにおいてもその才能を発揮しました。

主な活躍作品

・女優デビュー作:(1960-1964年)「台風家族」

・バラエティ出演:(1966年〜1980年)TBSの人気番組「家族そろって歌合戦」に14年間レギュラー審査員として参加

・CM出演:(1971年以降)カネヨ石鹸のキッチン用クレンザー「カネヨン」のCMで親しみやすいキャラクターを演じた

特に、1971年から始まったカネヨ石鹸の「カネヨン」CMでは、その親しみやすさで多くの家庭に愛される存在となりました。

きっと多くの人に愛されていたことでしょう!

シズ子さんは生前、「家族そろって歌合戦」が終了するまで、番組に出演し続けていました。そして、彼女が亡くなる4~5年前のことです。

1981年に閉幕した「日劇」の際には、感謝の涙を流しながらスピーチをしました。(東京・有楽町にあった日劇は48年の歴史に幕を下ろしました)

その時、シズ子さんは「この舞台が私にとって最高の時代を作り上げる場所でした。本当に、この舞台を一生忘れない」と、深い感慨を込めて話していました。

多くの試練を乗り越えてきた人生だったと思われますが、彼女は「ブギの女王」としての地位を築き上げ、その後も多くの家庭のお茶の間で親しまれていたようです。

1985年3月30日、70歳の時に卵巣がんでこの世を去りました。

総括

この度は、朝ドラ「ブギウギ」で趣里さんが演じる、主役・鈴子の実在のモデルである「笠置シヅ子(本名:亀井静子)」さんに焦点を当て、晩年の生活やなぜ歌手をやめたのかについて話を進めてきました。

卵巣がんを患い、約5年間の治療期間を経て70歳でこの世を去ったこと、

24年の長い歌手生活を終えた後、女優としての第二のキャリアを歩んだこと、

そして、現在放送中の「ブギウギ」では、彼女がどのように歌手から女優への転身を果たし、どのように病と闘いながら生活していたのかも描かれるのかが気になるところです。

ドラマのこれからの展開が楽しみです。

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